2016年09月24日(土)

「求めなさい。そうすれば与えられます」マタイ7:7



祈りは学校だと言われている。私達は自然に自動的に、よく祈れる
ようになるのではない。オートマティックではない。祈りは実践に
より、少しづつ〃学んで行く。最初の頃は、何でも、とにかく祈っ
て行くことが大切だ。初心者の頃は、自分本位な祈りだが、主は聞
いて下さることを経験する。

祈りについても初心者なので、よくわからないし、最初からうまく
祈れるわけではない。でも自分の事なら祈れるので、そんな求めに
も答えて下さる。とにかく主に向くこと、主を呼ぶことを身につけ
させて下さる。

そして段々信仰に進むにつれ、祈りについても教えられて行き、動
機の部分を照らされる。答えられない祈りがある事を学んで行く。
「ノー」の答えを知る。肉の欲望のため、快楽のための祈りである
事を知る。そんな動機を軌道修正しながら、御心にかなう祈りへと
変えられ、導いて下さる。

又、時間をかけながら、祈りが教えられる。時々、気まぐれな祈り、
思いつきの祈りをするが、翌日にはもう祈らない。本当に求めてい
るものではないからだ。真の求めは祈り続けることができる。どっ
ちでも良いような祈りは続ける事ができない。時の経過で祈りが精
査されて行く。

祈りの中には、忍耐をもって、長い期間、祈り続ける祈りもある。
魂の救いもその内の一つだ。忍耐を学び、その中で信仰が培われて
行く。そして御心にかなった祈りが答えられるので、主が自分に何
を求め、何を御心としておられるのかを、主の視点を求めるように
自分が変えられて行く。

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祈りの中で、祈りを教えられて行く。長期間の祈りが求められてい
る時も、途上で主からの励ましが来る。的違いの祈りなら、祈りを
変えるように、修正して行くように、それも教えられる。祈りの答
えを見張り、御言葉にも目を留め、状況を見つつ、祈って行こう。