2016年10月25日(火)

「祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は・・せきとめられ、せきをなして立つようになる」ヨシュア3:13 



目の前にヨルダン川が、とうとうと流れている。又、春先で、雪解
けの水が溢れ、最も水かさの増す時期だった。自分たちの背よりも
高い川で、舟も橋も無い。大きな試練を前に、ヨシュアは祭司たち
に命じた。「契約の箱をかつぎ、民の先頭に立って渡れ。ヨルダン
川の水際に来た時に、川の中に立て」と。

祭司たちの足の裏が、水の中にとどまると、ヨルダン川の水がせき
止められ、せきをなして立つようになると。祭司たちは、契約の箱
をかついで、川に足を踏み入れた。一体どうなるのか。目に見える
何の保証もなく、ヨシュアの言葉だけだった。一歩踏み出すと水が
せきとめられると言う。

先にせきとめられてから、渡るなら簡単だ。しかし、まだ川の水が
岸一杯に溢れている時に、足を水の中に入れる事は、勇気が要る。
信仰が必要だ。目に見えるところでなく、目に見えない御言葉に従
うことが信仰だ。しかし信仰もって一歩従う時、いつも神のみわざ
を見る。確かに主の働きを経験する。

私たちは、不安と恐れがあり、ちょっとでも見えたなら従おうと思
う。しかし見えたなら信仰は必要ない。見ているものを信じる必要
がない。先に水がせき止められたのでなく、足を踏み入れた後に、
せき止められた。見たなら従おうとするなら、従えないまま一生が
終わる。今、従うよう示されているなら、御言葉だけを頼りに、踏
み出そう。
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状況と自分を見て判断すれば不安と試練の連続だ。けれど約束の御
言葉を信じて委ねることができたら、毎日は主の備えておられる新
たな祝福を経験していける。一歩信仰を働かせよう。