2017年01月25日(水) 「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」マタイ26:21
「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」マタイ26:21
主は、一人一人に全く異なった賜物を与えておられる。能力も異な る。「おのおのその能力に応じて」とある。五タラント、二タラン ト、一タラントと画一ではない。皆、違っている。そして皆に必ず タラントが与えられている。それぞれ能力に合った働きが備えられ ている。自分に与えられたものをもって、主に仕えて行く時に、大 きな喜びと生きがいとなり、そして主の栄光が現わされて行く。 ここでよく陥る間違いが、自分に与えられたものと、人のものを比 較してしまう事だ。比較した途端、人のものが良く見えて、自分の ものが色あせて見える。そうすると、迷路に入り込み、自分に与え られている賜物の素晴らしさがわからなくなってしまう。人を羨み、 妬み、自分に与えられているものに感謝もなく、喜びも失せる。 磨いて行くどころか、不平不満、愚痴でいっぱいになる。そして主 人が戻り、彼らと「清算をした」。主が来られる時、清算をされる。 五タラントと二タラントもうけた者に全く同じ賞賛だ。五と二に何 の差も無い。そしてどちらも「わずかな物」に忠実だったと。五タ ラントもわずかな物と。 額は関係無く、「忠実だった」ことを言っている。主が見られるの は、ただただ「忠実」だ。「小さな事に忠実な人は、大きい事にも 忠実であり」、忠実は小さな事で量られる。誰も見ていない所での 忠実は、主に対する忠実だ。主は喜んで下さる。 ----------- 主が結果だけを求めておられるのなら、失敗を恐れて手も足も出な いだろう。主が与えてくださった自分の賜物を信じよう。土に埋め たりせず、喜んで忠実に生きていこう。