2017年05月25日(木)

「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです」ヤコブ4:3



時に、自分にとって、強烈な願いであり、欲しいものがある。しか
し、その自分が喉から手が出るほど欲しいものが、果たして本当に
自分に必要なのかどうか。それを、神に祈り求める事ができるなら
「欲望」の誘惑から守られる。解放される。欲望は際限がない。欲
しいものと必要なものは違う。

単に自分の欲しいものを求めて行くなら、欲望のとりこになってし
まう。今、どうしても欲しいものがあるなら、それが自分に必要な
ものかどうかを、神に祈ろう。そう祈るなら誘惑から守られ、サタ
ンの足場を砕いてしまう。そして、もしそれがあなたに必要なもの
なら、神は必ず与えて下さる。

又、こんな御言葉がある。「そこで、主は彼らにその願うところを
与え、また彼らに病を送ってやせ衰えさせた」絶対にどうしてもと、
どこまでも願うなら、神はその欲望の願いに答えられるが、それに
よって、たましいはやせ衰えると。「彼らは、荒野で激しい欲望に
かられ、荒れ地で神を試みた」結果だ。

余りの欲望による願望を向けるなら、神は、ある時、それを敢えて
与えられる。しかし、それを手にして、心は虚しく荒んで行くこと
になる。罪の性質である、際限無い欲望から守られるために、今強
く求めているものが、真に自分に必要かどうかを、今一度神に伺お
う。すべてにおいて守られる。
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目の前に欲しい物があれば、ろくに祈りもせず手を出してしまう。
そんな衝動買いの卑小な失敗からも、御心なら与えてくださいの祈
りの大切さを教えられる。ノーの答えも感謝ですと思える備えとも
される。