2001年01月25日(木)

「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。」(詩篇36:18)

 ある夫婦に娘がいた。愛らしく聡明で、快活で
思いやりがあり、自慢の娘は多くの喜びをもたらして
くれた。娘がジョギングをしていたある日、事故に
あい即死だった。何がなんだかわからず、父親は
理解しようと苦しみ、パニックだった。
また、怒りが沸いてきた。どうして娘にこういう
ことが起こるのか。神はなぜ娘を守って下さら
なかったのか。知らせが伝わると友人、近隣、親族
達が大勢集まった。
悲しみに暮れる心を和らげるために、これらの人々を
遣わしてくださった神を感じた。
そしてこれらの人々を通して働く神の愛や癒しの恵みを
感じるようになった。
娘の死に対する、神ご自身の悲しみに気づくようになった。
神は自分自信の怒りや質問を責めておられなかった。
神は心を少しずつ癒してくださった。
娘が永遠に神の御手の中にある確信に慰められ、神の
無限の知恵と忍耐の中で、神の恵みに満ちた愛に触れて
行く事によって癒された。