2017年08月25日(金) 「イエスは彼に言われた。『起きて、床を取り上げて歩きなさい』」ヨハネ5:8
「イエスは彼に言われた。『起きて、床を取り上げて歩きなさい』」ヨハネ5:8
ベテスダの池に38年伏せっていた男性がいた。38年とは気の遠 くなるような期間だ。最初は、医者に行き、良いと聞く事は試み、 ありとあらゆる事をやってみた事だろう。どうやってでも直りたい。 しかし、まるでどうにもならない現実にぶち当たる。試みる度に、 今度こそと期待しては、裏切られ、それの繰り返しだった事だろう。 段々心が折れて来る。そしてベテスダの池に来た。だが、そこでも 同じ事だった。水が動いた時、最初に入った者はどんな病でも癒さ れる。じっと動く時を待ち、いつも今度こそと思うが、他人が先を 越してしまう。期待しては、打ち砕かれ、挫折の繰り返しだ。 心が疲へいし、期待すると傷つくので、期待する事を止めてしまう。 これ以上傷つきたくない。主は、この38年間の苦しみ、悲しみ、 嘆き、何もかもをご存じで、この男性に関わられた。「よくなりた いか」と問われた。彼は介助者がいないからダメだと。介助者のい る人が先に行くと。私たちもどうだろう。 あれが無いこれが無い、だからダメ。又、自分がこうなのは、状況 のせい、周囲の人のせい、親のせい・・そうしている限り、自己憐 憫、自己正当化の中にいる限り、何も変わらない。成長もない。周 囲でなく、状況でなく、自分はどうなのか。「あなたはよくなりた いのか」と主は問われる。言い訳でなく「はい、よくなりたいです」 と応答しよう。主はみわざをして下さる。 ------------ 主はいつでも良くなりたいか、良くなりたいと主に従う意思がある かと問われている。苦しみ、悲しみにしか見ていない目を主に向け 主を信頼し良くなりたいと答えたい。