2018年02月22日(木)

「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせ」ヨハネ14:26


日々の生活で経験するだろうか。御霊はある事をするよう促したり、
又、平安を与えたり、取り去ったり、御言葉を思い起こさせたりし
ながら、日常を導いて下さる。平安はゴーサインで、平安失せると
立ち止まって祈った方がよい。又、祈っている時に、ふっと、この
事はこうすればよいとの導きが臨む。

又、とっさの判断が必要な時に、心で祈ると的確な御言葉が浮かん
だりする。日々の生活で、助け主である御霊が様々な方法で導いて
下さっている。私たちはどう応答しているだろう。一人の静かな時
間ができると「今が祈りのチャンス。祈りなさい」と御霊の促しを
感じるが、肉は「いや、休みたい、テレビを見たい、気楽な事がし
たい」と言う。

それらは罪ではなく、悪い事では無いが、御霊の促しがある時に、
サタンが肉に働き妨げられてしまう。後で祈ろうと思うが、結局祈
らない。いつも二つの選択肢が目の前にある。肉と御霊だ。サタン
は肉に働き、楽な方へと誘う。御霊は主に近づけるよう招く。マリ
ヤは「良いほうを選んだのです」。選択が必要だ。

御霊に従うと必ず大きな祝福を経験する。サタンはそれを奪い去り
たい。「選んだのです」を心に据え、「選べません、選びたくない
私がいます」と祈る時、御霊の方へと助けられる。従えるように、
助けを求めて、絶えず主を呼ぼう。
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一日の生活の中で豊に御霊様は導いてくださっている。その声を求
めているだろうか。問題の無いときは求めもなく漫然と一日が過ぎ
沢山の導きも聞かずに終わっていく。御霊様のとの交わりを祈ろう。