2019年04月24日(水) 「ことばと口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛 そうではありませんか」Tヨハネ3:18
「ことばと口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛 そうではありませんか」Tヨハネ3:18
困っている人がいた時、又、助けを求めて来た時にどうだろう。良 きサマリヤ人の箇所の、祭司やレビ人のように、関わるのが嫌で逃 げてしまうだろうか。時間を取られたくない、又、予定外の仕事が 入るのが面倒で、労力も経済的犠牲も払いたくない。だが、困って いる者の叫びに耳を閉じる者は、自分が呼ぶ時に答えられない、と ある。 人は普段、無意識にも、自分が聞きたい言葉だけを聞いていると言 われる。聞きたくない言葉には耳をふさぐ。だから聞こえない。そ して聞かなかった事にすれば、悩まずに済むし、責任も感じなくて 済む。だが、御言葉によると、困っている人の必要を無視すると、 自分が呼ぶ時に答えられないと。 自分の祈りが聞かれなくなってしまう。事は重大だ。「自分の心に 責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、求めるもの は何でも神からいただける」。行ないを伴って愛する時、自らの祈 りが聞かれて行くと。そして主との間に妨げがないので、御霊の喜 びと平安に満たされる。この平安は何ものにも代えられない。 神は、私たちが、すべての事に満ち足りて、すべての良いわざに溢 れる者とするために、あらゆる恵みを溢れるばかりに与えて下さる。 従うなら経験する。自分に出来る事でさせて下さる。犠牲を払う事 を嫌がる気持ちをそのまま告げて、主の助けを祈ろう。従う時に、 自分自身が主を知る大きな恵みの時とされる。 ・・・・・・・・・・・・・ 困っている人に耳を閉じる時、自分が呼ぶ時に答えられない、と祈 りの生活に関わから、大変重大だ。祈りに直結して来る。肉は、労 力の要る事、犠牲が必要な事に関わりたくない。だが御霊に従う時、 平安と喜び、大きな祝福にあずかる。従って良かったと必ず思える。