2019年06月24日(月)

「私はいつか、サウルの手によって滅ぼされるだろう。ペリシテ人 の地にのがれるよりほかに道はない』」Tサムエル27:1


サウル王に命をつけ狙われていたダビデは、常に死と紙一重であり、
それはどんなに恐怖だったろう。いつかは殺されるのではないか。
そのため自分を救うべく敵のペリシテの地へ逃れる事を考えた。そ
こは敵地であり、サウルは捜す事を断念するだろうと。「ダビデは
心の中で言った」とあり、祈ったのではなかった。

ダビデは、どんな時も主に祈り、主に導きを求め歩んで来た。しか
しここでは祈らずに、自分の思いで決めた。恐怖と不安に飲み込ま
れてしまっていた。アキシュのもとへ身を寄せたが、自分の、肉の
思いで進んだ結果、嘘に嘘を重ねる事になり、更に、アキシュと共
に、何と同胞イスラエルと戦争をするという窮地に陥ってしまう。

サウルやヨナタンと戦う事になる。しかし、そこに主が介入された。
ペリシテの領主達が、ダビデが裏切るのではと、参戦させないよう
言って来た。アキシュはそれを受け入れ、ダビデは同胞との戦争を
免れた。最悪の事態から、神は守られた。「人を恐れるとわなにか
かる。しかし主に信頼する者は守られる」。人を恐れる時、サタン
の罠にかかってしまう。

人を恐れる時、そこにサタンの罠がある。エリヤも、エリや殺害命
令を出したイゼベルを恐れて逃亡し、えにしだの木の陰で死を願っ
た。主の言葉でなく、人の言葉を受け入れてしまった。人の言葉に
飲み込まれてしまった。
人や状況や自分にあるその視点を、主に移そう。自分で動かずに、
主を仰ごう。まず祈って判断しよう。自分で自分を守るのでなく、
主が守って下さる事に信頼し、委ねよう。その時、サタンの罠から
守られる。

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目の前の状況が、余りにも大きい時に、主も御言葉も飛んで、状況
に飲み込まれてしまう。自分で何とかしなければと、肉の知恵と考
えで動き回って失敗する。しかし尚も主のあわれみは尽きず、失敗
するが、尚も愛の御手で関与して下さる。窮地では、とにかくまず
主を仰ごう。