2019年12月25日(水) 「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」マタイ28:20
「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます」マタイ28:20
御使いが「あなたがたのために救い主が生まれた」と素晴らしい喜 びの知らせ伝えた。そしてその名はインマヌエル(神は、私達と共 におられる)と呼ばれると。信仰生活の中で、どういう事が救いな のだろう。けがや病気をしない事だろうか。又、病気が治る事だろ うか。病気の癒しは、それは確かに救われる事であり、嬉しい、有 難い事だ。 しかし病気は治っても、又、次々と病気は経験するし、すべての病 が完全に治るのでもない事も現実だ。パウロも強い願いにかかわら ず、とげは取られなかった。又、経済的困窮の中で、必要が満たさ れる事は救いだ。しかしパウロは豊かさと同様に、貧しさの中にい る道も知っていた。ある時、御心なら貧しさも通される。 様々な悩みの状況はどうだろう。その状況が取り去られる事が救い だろうか。ある人は突然の病を得て、身動き取れずベッドに伏せっ たままの日々だった。治療を受け、養生し、祈りに祈るが、一向に 回復の兆しが見えない。どうしたものかと更に祈り続けた。主には 不可能は一つも無いではないか、癒す事がお出来になる。しかし良 くならない。 尚も状況が変わらない中、ひたすら祈りを重ね、とうとう「すべて を明け渡します。もし一生このままでいる事が主の栄光を現すので あれば、それでOKです」とすべてを明け渡す事ができた。その後 不思議に回復して行った。しかしその時に、どんな中でも「主が共 におられる」事、インマヌエル、それこそが真の救いだと悟らされ た。 -------------− 主はこの世の暗闇に光として来られた。この光を見つめて歩もう。 まわりの環境も自分の中にも依然として多くの闇があるが、主は共 におられる。それを覚えるとき何も恐れない主の平安と力が来る。