2020年02月23日(日)

「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神 よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17

サウル王とダビデ王が時に比較される。どちらも王であり、主の前
に罪を犯した。しかしダビデの罪は赦され、サウルは神から退けら
れてしまった。どこがどう違ったのか。サウルは、敵のすべてのも
のを聖絶せよとの命令を受けた時に、最良のものを惜しみ、どうで
も良いものだけを聖絶した。

つまり主に従わずに、自分の思いに従って、主の言葉を退けた。そ
れで王位から退けたと言われた。サウルは「私は罪を犯した」と言
ったが、同時に、私の面目を立てて欲しいと言った。罪を犯した事
でなく、面目を立てて欲しいのが本心だった。つまり真摯な罪の悔
い改めは無かった。

ダビデはバテシバと姦淫し、その夫ウリヤを殺害するという重罪を
犯した。ナタンがダデの罪を告発した時に、ダビデは自らの罪を認
めて言った、「私は主に対して罪を犯した」。するとナタンはダビ
デに「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった」と罪の赦し
を告げた。

ダビデはナタンから罪の指摘を受けた時に、主の御前に罪を悔い改
めた。ダビデは王でありトップだ。絶大な権力を持ち、目の前のナ
タンをどうにでも出来た。現にウリヤを殺している。王としてのプ
ライドも、部下の手前も、体面もある。しかし自分の面目でなく、
真実に悔い改めた。その罪は赦された。主はいけにえを喜ばれず、
砕かれた、悔いた心を喜ばれる。悔い改めて、〃歩もう。

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サウルもダビデも罪を犯したが、その行く末は、天と地ほどの差が
生じた。サウルは主から離れ、王位を奪われ、ダビデは悔い改め、
赦され、回復させられた。詩篇を残し、量り知れない恵みと祝福を
後世に残した。悔い改めるたましいを愛し赦し、回復させて下さる。