2020年05月25日(月)

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ43:4



私たちの中には、良い人に見られたい、人に嫌われたくないという
根深い思いがある。それは固く培われた価値観だ。主に会う前は、
それを求めて生きて来た。人前を繕って、良い人の演技をしてしま
う。なぜ演技するのだろう。本当の自分を出せば、人に嫌われる、
人は離れて行くと思ってしまう。御言葉によると、私たちの心の奥
底は、誰しも愛されたいと思っている。

「人の望むものは、人の変わらぬ愛である」の通り、人の愛を求め
ている。エデンの園で、アダムとエバは罪を犯した結果、霊的に死
に、神から離れてしまった。神との愛の交わりが断たれてしまった
ために、目に見える人の愛を求めるようになった。新生したクリス
チャンもまた、根深い肉の性質があるため、目に見える人に、愛さ
れたいとの思いが強く、人前を繕ってしまう。

主は、私たちを愛し、あるがまま、丸ごと受け入れて下さっている。
しかしながら主ではなく、この世を求め、自分の力を誇り、自分の
思うように生きてしまう。だが、主の愛は、何もかもすべてご存じ
の上での愛だ。この愛を信じて行こうとしない時、主との間に距離
を作り、主の前ですら本当の自分を隠して、繕ってしまう。

アダムのように、主を避けて、隠れる事になる。十字架の血潮によ
ってではなく、自分の力で少しはましになって御前に出ようとして
しまう。主がアダムに「あなたはどこにいるのか」と問われたが、
私はどこにいるだろうか。「わたしはあなたを愛している」と真実
を持って、命をかけて語って下さっている。

問題は、心の奥では、この愛を信じられない事だろうか。もしそう
なら、そこのところを、祈りに持って行こう。祈りに答え、豊かに
祝福し導いて下さる。
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人は取り繕えば愛してくれるが、ありのままならどうだろう。神は
この罪深さもご存知で、見捨てずに赦された。赦された上で愛して
くださっている。及びもつかない神の愛の深さを知っていこう。