2020年06月24日(水) 「兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです」1ヨハネ2:11
「兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです」1ヨハネ2:11
人を憎んでいる時は、やみの中にいると、御言葉は言っている。罪 を犯すとやみの中にいる事になると。やみの中なら、光がないので、 何も見えない。一条の光でもあれば、そこはもうやみではなくなる。 やみの中では自分がどこに行くのか知らないと。つまり正しい判断 ができない。人への強い憎しみや妬みがある時、判断を誤ってしま い、誤った方向へ向かってしまう。 「もし、心の中に苦い妬みと敵対心があるならば・・真理に逆らっ て偽ることになり」「そのような知恵は上から来たものでなく、地 に属し、肉に属し、悪霊に属するもの」「妬みや敵対心のあるとこ ろには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行ないがある」と。例えば 妬む相手、憎む相手がいれば、まずその相手と接触しなくて済むよ うに、自分の思いで行動をセッティングして行く。 するとすでに御霊が意とされる御心から離れてしまう。そして、相 手を避けるように物事を計画するので、御霊の秩序から逸脱して行 く。自分の思いで進み、主の秩序が乱れて行く。しかし自分の自然 な思いなので、気づかない。自分が相手を憎み、妬んでいる事実を 正直に認める時に、すでに光の中だ。闇の欺きから守られる。 そしてそれは祈りに持って行ける。助けを求めて祈って行ける。そ の祈りは聞かれる。認めないなら、ずっとやみの中になってしまう。 まさにどこへ行くのかわからなくなってしまう。 -------------- 憎むには憎む理由があると、自分を正当化したくなるが、肉に引き ずられて闇の中だ。罪を悔い改めよう。主が弁護し助けてくださる。 光の中を歩もう。