2021年12月25日(土) 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はイ ンマヌエルと呼ばれる」(訳すと、神は私たちとともにおられる、 という意味である)」マタイ1:23
「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はイ ンマヌエルと呼ばれる」(訳すと、神は私たちとともにおられる、 という意味である)」マタイ1:23
マリヤはある日突然、現われた御使いに「おめでとう、恵まれた方。 主があなたとともにおられる」と言われた。この言葉に驚いて、ひ どく戸惑った。続けて「あなたは神から恵みを受けた」と。どんな 恵みかというと「みごもって、男の子を産む」。名をイエスとつけ るようにと。 「でもどうして」と、マリヤは問うて行く。まだ結婚してないのに と。すると「聖霊が臨み、いと高き方の力がおおう」のだと。「神 にとって不可能は一つもない」と。マリヤは夢にも思わなかった事 であり、だが主からのこと、主のご計画と受け入れた。 しかし当時、未婚で妊娠すると石打ちの刑だ。死を覚悟の上だ。ヨ セフを傷つけ、結婚も壊れ、周囲の非難にさらされるだろう。この 厳しい中で、マリヤはなぜ決断出来たのだろう。「恵まれた方」と、 まずマリヤは神に選ばれた人だった。こんな命がけの状況なのに、 御使いは「大変な事ですね」でなく「おめでとう」と。 それもマリヤの気持ちを聞いているのでなく、一方的告知だ。もう すでに決められた事だった。そして主は、マリヤが従う事を知って おられた。なぜ「おめでとう」と喜びなのか、「主があなたととも におられる」からだ。「インマヌエル」これは奇跡だ。どんな危険 や苦しみがあろうと、今、主が共におられる。問題が無くなる事が 奇跡なのでなく、主が共におられる事が奇跡だ。 ・・・・・・・・・・・ 私たちの信仰人生においても、問題は次々と起きる。無病息災、家 内安全等、問題が無い事が救いなのではなく、「インマヌエル」主 が共におられることが救いだ。「わたしだ。恐れることはない」と 常に共におられる主に、焦点を当て続けよう。