2022年02月22日(火) 「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさ い。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるため です」Tペテロ5:6
「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさ い。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるため です」Tペテロ5:6
「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ」とあるように、私 たちの今いる場を与えられたのは、主だ。私達はどうだろう。今、 自分のいる場所が、境遇が、不満だろうか。もっと自分は良い地位 にいるべきであり、自分はもっと能力があるはず、本来の自分の場 所ではないと。ここは不当だと不満に思っているだろうか。 しかしそれこそが神が備えられた場だ。実は恵みの場であり、私達 をへりくだらされる場、砕いて下さる場所なのだ。後の者が先にな って行き、なかなか昇進出来ない職場、悩まされる近隣の対人関 係、 時間と労力が取られる親の介護や育児、自分の時間が全く無い有 様、 思い通りにならない悶々の状況だろうか。 そこでこそ、主は私達を砕き、練り込み、鍛え、訓練される。目に 見える状況でなく、霊の目で主の御手をしっかり見れるよう祈ろ う。 目に見える所は、全く思い通りに行かない、嫌になるような苦しい 状況は、あなたの殻を打ち破るため、依存し、握りしめ、執着して いるものを気づかせ、自由にするためだ。 本来の場所でないと、高ぶる自らに、いいえ、そこがあなたの場所 ですと言われる。そこで高ぶりを認め、へりくだろう。十字架の主 を覚え、身を低くしよう。その所において、主のかたちへと造り変 えられて行く。 御手の下にへりくだるその時、そのままでなく、丁度の時に、今度 は主が高く上げて下さる。へりくだる者に、豊かな素晴らしい祝福 が臨む。 ---------- あの痛い場所があったから、僅かでも高ぶった自我が砕かれていっ たと今なら思える。あの時も、今も同じように主が置かれた場所に いる。力強い神の御手の下で溢れる恵みを感謝したい。