2022年06月24日(金)

「こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。し かし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要である ことを知っておられます」マタイ6:32



ある人が、神学校を卒業後、若くして牧師となり、地方の小さな教
会に赴任した。まだ少人数であり、経済的に非常に厳しく、主が言
われた通りに、「私たちの日ごとの糧をきょうもお与え下さい」と
日々切に祈り続けた。少しの貯えを切り崩しながら生活をしていた
が、とうとう底をついた。

どっと思い煩いと不安に襲われる。そんな時、祈りの中で「空の鳥
を見よ。種蒔きもせず、刈り入れもせず・・けれども天の父が養っ
ていて下さる」「野のゆりは、働きもせず紡ぎもしない」「何を食
べるか、何を飲むか、何を着るか・・心配するのはやめよ」「心配
するな」「明日のための心配は無用」と強く語りかけられた。

主が、心配無いと言われた。そこで今一度、決心し、主にいっさい
を委ねた。そうしていると知人から電話がかかり、友人が塾講師を
探しているが、バイトでどうかとの打診だった。丁度、祈っていた
中での要請だったので、主の導きと心から感謝した。数年間、丁度
良いように必要が満たされた。

主に身を預け、信頼して行く者を必ず守り、養って下さる事を、身
をもって経験した。思い煩いは、凄まじい力があり、自分ではどう
にも出来ない。そのままを祈りに持って行こう。語りかけられる主
の言葉には力がある。肝心な事は「神の国とその義とをまず第一に
求めよ」とある。今、必要な事は、神を第一に、軌道修正する事だ
ろうか。
------------
主から語られるいのちの言葉は、心配事で沈んでいるたましいを生
かしてくれる。あれやこれや考える時、問題の中に主を認めて、主
に助けを求め、頼りながら歩もう。