2022年08月25日(木)

「・・まことに、彼らはむなしく立ち騒ぎます。人は、積みたくわ えるが、だれがそれを集めるのかを知りません」詩篇39:6



ダビデは、苦しみの中で「なぜ?どうして?自分がこんな目に会う
のか」との思いでいっぱいだった。しかし舌で罪を犯さないように
と、口に口輪をはめた。だが黙っていると、痛みは激しくなって、
今にも爆発しそうだった。そこで自分の舌で、人に向かってでな
く、
主に自分の思いを吐き出した。気持ちを洗いざらい告げた。

人生はいかにはかなくて、虚しいかと。どんなに盛んであっても、
全く虚しいと。そんな虚しい人生で、何を待ち望み、何を望めば
よいのか。そして祈りの中で、見上げた時に、主を見い出した。
「主よ。私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたで
す」と。

そして、ことごとくを祈りに持って行った後、「私は黙し、口を開
きません」と言っている。それは罪を犯すから、口を開かないので
なく、「あなたがそうなさったからです」と。見える所でなく、自
分の思いでなく、神視点に立ち、信仰に立っている。

神の主権を認め、神のご計画がある事を認め、それを受け入れてい
る。人から受ける苦しみも、信仰によって、神からのものと受け止
めた。苦しみの中にも、そこに主を認める時に、「あなたのむち」
「あなたの手に打たれ」と、主を見い出して行く。

するとそこには意味があり、むちも、打たれる事も、御手により豊
かな祝福へと導かれて行く。今、起きている事を「あなたがそうな
さった」と受け止めて行こう。その時、「私の望み、それはあなた
です」と、ますます主に向かって行ける。
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主は私たちよりも私たちの必要を知っておられる。立ち騒がず、こ
こに主を認めて受け止められるように祈りたい。今わからなくても
主の最善がある。落ち着いた強い信仰を求めよう。