2022年09月24日(土)

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時 がある」伝道の書3:1


すべての事に「神の時」がある。主も「わたしの時がまだ満ちてい
ないからです」「見なさい。時が来ました」と、「時」を重んじら
れた。私たちの日々にも、何事においても「時」がある。カナの結
婚式の最中に、ぶどう酒が無くなってしまった。ぶどう酒は大切な
もので、絶対に欠かす事ができない。これは大変な失態となる。

その時、母マリヤは、まず一番に主に告げた。主ならすぐに何とか
して下さると。その時、主は「わたしの時はまだ来ていません」と
答えられた。私たちはいつも「すぐに」答えを期待する。今すぐに
答えが欲しい。しかしマリヤは、自分でぶどう酒を調達しようとは
せずに、事態を主に委ねた。その時に、主は奇跡をして下さった。

サウル王は時を待てないで、失敗してしまった。ペリシテ軍の攻撃
が来た時に、遅れて来ないサムエルを待つ事をせずに、自分でいけ
にえを献げた。だがいけにえは祭司しか献げる事ができない。この
ためにサウル王は、王位から退けられた。

アブラハムも、神の時を待てずに失敗してしまった。子孫を与える
との、主の約束を受けたが、待てども〃成就しないので、女奴隷ハ
ガルによって、子供を得た。主の時を待てずに、自分で動いてしま
った。しかし肉で行なった事は、大きな問題を生み出す。神の時を
待つ事が信仰だ。忍耐して、待ち望もう。神の時が満ちると、微動
だにしなかった事態が、ひとりでに事が動き出す。

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「神の時」が重要だ。いつも学ばされるが、どうしても早く早くと
気持ちが急いてしまう。待つことが非常に難しい。早く結果が欲しい。
しかし神の時には、何もしないのに、するすると事が驚くばかりに
動いて行く事を経験する。自分で動かず待ち望もう。