2023年01月25日(水) 「そのとき、イエスは弟子たちに言われた。『あなたがたはみな、 今夜、わたしのゆえにつまずきます』」マタイ26:31
「そのとき、イエスは弟子たちに言われた。『あなたがたはみな、 今夜、わたしのゆえにつまずきます』」マタイ26:31
信仰人生において、私たちがつまづくのは、どんな時だろう。よく 考えてみると、「自分の」期待に合わない時ではないか。どこまで も「自分の」強い思いに、そぐわない事でつまづいていないか。自 分に何の関係も無い事で、人はつまづく事はない。「自分の」気持 ちや「自分の」願いを、相手が受け止めてくれない時、自分の思い 通りにならない時に、つまづいたと思う。 そして、そんな神なら捨ててしまうだろうか。自分の願いが叶えら れないなら、必要無い。偶像ならそうだろう。次々と拝む対象を取 り替えて行く。当時の、主の周辺にいる人々は、主を現世的、政治 的指導者、ローマ帝国をくつがえして王としての主を求めた。メシ ヤとして華々しく王位につく事を。しかし現実的はどうだろう。 ローマを倒して、王になるはずの主が、十字架にかかられるなど と、受け入れられない。人々は自分たちの思い通りでない、主を捨 てた。自分の期待通りでない、願望を裏切る主が、腹立たしい。私 たちもどうだろう。信仰人生が自分の期待通りに進まない、こんな はずではなく、思い通りでない、願いが叶えられない。その時につ まづく。 その時の軸が「自分」であり、自分の気持ち、自分の思いだ。その 軸を主に代えてみよう。「主のみ思いは?」「主のお心は?」主は どう思っておられるのか。主を軸におき、自分を明け渡して行く時 に、今までの世界とは違い、主の世界が見えて来る。「わたしにつ まずかない者は幸いです」と言われている通りに。 ------------ 決してつまづかないと突っ走っていると転んでしまう。問題が起こ るとすぐに自分の良心や常識が先に来てしまう。自分にこだわり主 が語る大切な御言葉を流さないよう、自分を明け渡せるよう祈りた い。