2023年04月24日(月) 「また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、 赦してやりなさい。」マルコ11:25
「また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、 赦してやりなさい。」マルコ11:25
信仰をもって、すでに受けたと信じて祈る時、その通りに与えられ るとの、素晴らしい約束がある。だが続きがある。「だれかに対し て恨み事があったら赦してやりなさい。そうすれば、天におられる あなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます」と、人 を赦す事が強調されている。 赦さない心は、祈りを妨げるので、祈りが聞かれないと言ってい る。主が、あなたのどんなひどい罪もすべて赦して下さったのだか ら、恨み事のある相手を赦しなさいと。私たちはしょっ中、失敗す る者だ。しかし主は赦して、赦し続けて下さる。罪を犯さないので はなく、赦され続けて生きている。それゆえ私たちも赦すべきでは ないだろうかと。 まず恨み、憎しみ、赦さない心があると祈れなくなる。主と私の間 に、へだたりができてしまうので、確信をもった祈りができなくな る。あなたも経験あるだろうか。ある人が、切実な必要のため、主 の御前に出て切に祈っていた。しかし祈るが答えられない。尚も祈 り続けていると、祈りの中で、ある人に対し、恨みと苦々しい思い を根に持ち続けている事を示された。 これが祈りを妨げている事がわかり、心から悔い改めた。そして赦 した。その後、見事に祈りが答えられた。赦さない心は、祈りをし ゃ断してしまう。祈りの答えを受け取るために、心の奥の密かな恨 み、赦さない心がないかどうか、御霊に探って頂こう。妨げが除か れる時、すでに受けたと信じる事ができ、そして祈りの答えを受け る。 ------------ 誰かに対して恨み、憎しみがある時、一番に祈るのは自分の罪の赦 しではないだろうか。人にされた嫌なことは何度も思い出す。思い 出すたびに主に赦せるよう、また主から赦されるように祈ろう。