2024年04月24日(水) 「神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避 ける者の盾。」詩篇18:30
「神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避 ける者の盾。」詩篇18:30
主の言葉は、足元を照らすともしびで、道の光だ。もし、車のガソ リンやオイルの警告ランプが無ければどうだろう。又、飛行機や船 が、人間の目だけに頼って運行されたらどうだろう。悪天候で視界 がぼやけると、どこに向かえば良いか、全くわからない。だが正確 な計器があるなら、正しい方向へ進んで行ける。 私たちの人生も同様だ。どの道を進めばよいのか、進路がわからな い時がある。そんな時の確かな計器が御言葉だ。ある女性が職場 で、チーフに抜てきしたいが、どうかとの打診を受けた。自分の能 力で出来るのだろうか。管理職であり、部下を持つなど不安だ。自 信がない。思いが巡る中、そんな恐れもすべてことごとく主に告 げ、御前に祈っていた。 すると御言葉が臨んだ。「恐れるな。わたしはあなたとともにい る。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強 め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」。その 言葉で、不安や恐れがすうっーと消えて、平安になり、受諾の決心 ができた。別の女性は、携帯の無い時代に、初めての地を自転車で 走行、日没で、街灯もなく真っ暗になった。 そこは海の近くで倉庫が並び、人影無く、それだけでも不安だっ た。一方は先が海で、もう一方は住宅街だ。真っ暗で先が見えず判 断がつかない。迷子だ。もし海に向かっていたら・・。又、変な人に 会っても恐い。真っ暗闇の中で、あんなに恐怖はなかったと。 その経験により、信仰人生において、み言葉が足の灯火であり、道 の光である事を身を持って、身にしみて理解できたと。問題に、様 々な岐路に、判断のためにみ言葉の光を求めて、歩むようにされ た。 ------------ 迷いやすく主の導きがなければ何処へ向かうかわからない者が、御 言葉により、祈りにより、小さな事でも主に教えられて歩める。な んと心強い事だろう。正しい選択ができるよう祈り求めよう。