2024年06月23日(日) 「『わたしに何をしてほしいのか。』すると、盲人は言った。『先生。 目が見えるようになることです。』」マルコ10:51
「『わたしに何をしてほしいのか。』すると、盲人は言った。『先生。 目が見えるようになることです。』」マルコ10:51
バルテマイは、主に出会った時に「わたしに何をしてほしいのか。」 と問われ、「目が見えるようになる事」を願った。すると主は、それ を「あなたの信仰」と言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰 があなたを救ったのです。」と。当時は福祉もなく、目が見えない という事は、社会生活が不可能で、経済的にも成り立たず、生け るしかばねのような存在だった。 物乞いをして生きる事は、どんなに惨めで、プライドが傷ついた 事だろう。しかし彼は自分の人生に、神が必要である事を認め た。神のあわれみが無ければ、生きて行けない、惨めで哀れな 者である事を認めた。プライドを捨てて、神に、あわれみが欲しい と、「私をあわれんでください」と大声で全身で叫び求めた。 弟子たちが黙らせようと、大勢でたしなめると、ますます叫び立 てた。彼は必死だった。ここで求めなければ、もうチャンスは無 い。ありったけの力をふりしぼって叫んだ。主はこれを「信仰」だ と言われた。主に、目が見えるようにと求めたが、それは心の目 もだった。主はその信仰に応え、あわれんで下さり、無条件の愛 を下さった。誰にも相手にされなかった彼は、どんなに嬉しかった ろう。 肉の目も霊の目も開かれて、主の行かれる所について行った。大喜 びで、主に従う者とされた。私たちはどうだろう。自らの人生、何 が大切なのだろう。自分にとって、主は、大切なものが沢山ある 中の一つだろうか。どうしても無くてならぬお方だろうか。主に求 めよう。霊の目を開いて下さる。そして喜びに溢れて、感謝をもっ て、主について行こう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主は、背景も心の内も、すべてご存じながら、「あなたは、わたし に何をして欲しいのか」と、私たちにも問うて下さっている。主に 心を打ち明け、思いを言い表わそう。主の思われる最善の答え へと導いて下さる。