2024年11月24日(日)

「きょう、もし御声を聞くならば、荒野での試みの日に御怒りを 引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない」ヘブル 3:7



彼らが安息に入れなかったのは、不信仰によると続くが、不信仰
とは、信仰が足りない事ではなく、自分の力、判断により頼み、主
を信頼しない事だ。車の運転席に座り、人生の主導権を自分が握
る。主は助手席だ。主の御心を求め、従うのではなく、自分の思い
に従って歩む。

イスラエルの民が、荒野を進む途上で、モーセは、カナンの地を
探るようにと、12人の斥候を遣わした。するとヨシュアとカレブは、
乳と蜜が流れる、豊かな果実がなり、素晴らしい地で、「ぜひとも、
上って行って、そこを占領しよう。必ずできるから」と言った。しか
し、彼ら以外の10人の斥候たちは、悪い知らせをもたらした。

あの地の民は、自分たちより「強い」「攻め上れない」「背の高い
者たちで、自分たちはいなごのようだ」と。全面的に、否定的報告
をした。すると全会衆は、大声を上げて泣き、泣き明かした。まさ
に不信仰による失望落胆だった。その落胆は、反抗へと進んで
行く。「ひとりのかしらを立てて、エジプトに帰ろう」と。主が与えた
指導者モーセとアロンを否定、無視し、新しい指導者を立てようと。

モーセたちを、石で殺しかねない状況だった。主は、彼らを疫病
で滅ぼされた。自分の思いで判断し、自分の思いで行動すること
が不信仰であり、主の御声を聞き、主に信頼すること、従うことが
信仰だ。日々の地道な主との交わりを積むことにより、主への信
頼を培われて行く。そして不信仰に気づかせられて行く。

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何も問題が無い時、自分の力で歩みがちだ。主に頼らずとも、や
って行けるからだ。又、突如の事態が起きると、パニックになり、
自分で何とかしようとしてしまう。地中で根が張るように、日々の地
道な主との交わりに、生きて行けるよう祈ろう。