2025年06月24日(火)

「確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって 歩んでいます」Uコリント5:7



よく知られた例えがある。聞いた事があるだろうか。「事実(御言
葉)」を先頭に、真ん中に「信仰」、最後尾を「感覚」が順番に、
山の上を歩いていた。先頭の「事実」は、どんどん進んで行く。
その後ろの「信仰」は、目の前の「事実・御言葉」だけを見ている
と、問題なくスムーズに前進できた。そしてその後ろの「感覚」も
順調について来た。すべて調和をもって進めた。

ところが「信仰」が、前を行く「御言葉」から目を離して、後ろの
「感覚」を振り返った。その瞬間、「信仰」と「感覚」はもろとも、
谷底へ転落してしまった。そして「事実」だけは一向に関係なく、
前進して行った。信仰生活の正しい順序は、「御言葉」「信仰」
「感覚」だ。感情はあくまでも、御言葉と信仰の後について来るも
のだ。

しばしばこの順序を変える。「感覚」を先頭にして、真ん中が「信
仰」最後が「御言葉」だ。すると途端に、迷路に迷い込む。感情に
振り回されて、激しいアップダウンを繰り返す。私たちは、この世
界で生きているので、感覚である五感に深く拠り頼んでいる。それ
は必要な事で、五感で危険を察知しなければ、命を落とす事になる。
しかし信仰は霊の分野であり、通常の五感では感知できない領域だ。

信仰を五感で、人間的領域でつかもうとすると、霊的事柄がわから
ない。その場合も、感じなければ信じないし、信じようとしない。
そうでなく感じようと、感じまいと、御言葉を真実、事実として、
信仰で歩む時、必ず後ろから感情がついて来る。感情を先頭にして、
混乱していないだろうか。気づけて、御言葉に立てるよう、祈ろう。
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感情が上向きだと主は近くに感じられ、下向きになると逆転だ。天
気にさえ左右される感情に振り回されず、立ち上がって、御言葉の
後ろをついて行こう。