2025年09月24日(水) 「主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに」 哀歌3:25
「主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに」 哀歌3:25
私たちにとり、大変難しい事の一つに「待つ」という事がある。待 つことが、なかなか困難で、出来ない。苦手だ。現代は忙しく、調 理時間の短いファストフードや、即、飲物が出て来る、自動販売機 に慣らされ、すぐに結果が欲しい、すぐに目に見える形で手にした い。そのために自分が動き、自分で何とかしようとしてしまう。そ の方が早いからだ。 又、主を待つ事をせずに、落ち込み、思い煩い、不安にさいなまれ、 目の前の状況だけを見て、失望落胆してしまう。待つことが苦手だ。 「待つ」とはどうイメージするだろう。順番を待つ、友人との待ち 合わせ、病院で呼ばれるのを待つ、バスを待つ、病気の回復を待つ ・・じっと待つようなイメージだろうか。 詩篇には「夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待つ」とある。 夜回りは、朝に必ず太陽が昇る事を知っている。毎日毎日繰り返さ れ、経験によって絶対に昇るとわかる。わかっているが、しかし物 理的時間は必ず経過しなくてはならない。詩篇記者は更に確信をも ち、信じて、今はどんなに暗くとも、必ず夜は明けるから、夜明け を待つと言う。 そしてその夜明けは必ず来る。今はあなたも、主を待つ時だろうか。 自分の思い、判断、力で動かずに、主を待てと言われているだろう か。「主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましい に」。主を待つなら、慈しみ深い主を知る事になる。主の慈しみを 味わい知れるとは、どんなに祝福で喜びだろう。 ----------- 喜びや平安が失われるのは、状況には関係なく、いつも主から目を 離したときにはじまる。主がこの状況を動かしていることに感謝し よう。主は、主を待ち望む者を知っておられる。待ち望もう。