2026年02月22日(日) 「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じていま す。神は愛です」Tヨハネ4:16
「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じていま す。神は愛です」Tヨハネ4:16
私たちが神を愛したのでなく、神の方が先に、私たちを愛し て下さった。初めの愛とは、この「神」が、まず私たちを愛し て下さった愛のことだ。初めに、神だ。この順序が狂うと、 人を愛することが出来ずに、苦しくなるばかりだ。御言葉に 従うこと、戒めを守ることは、大きな重荷であり、苦痛にな る。辛いばかりで、油の切れた機械のようだ。肉には出来な い。 御霊によって、まず主の愛を受けることだ。主を愛する前 に、人を愛する前に、十分に主の愛を受け取ることが大切 だ。そこから始まる、「私たちは愛しています。神がまず私 たちを愛してくださったからです」神がまず無条件で、犠牲 愛で、一方的に与える愛で愛して下さった。 ザアカイは虚しく、暗く、喜びの無い、満たされない心のた め、主を求めた。どうしても主に会いたくて、人々の妨げ での中、木にまで登った。必死に、切実に、主を求めた。 その時、「ザアカイ」と名を呼ばれ、「あなたの家に泊まる」 と。まず罪を責められ、戒められるのでなく、罪人のザア カイを全面的に受け入れて下さった。 主は、ザアカイの虚しい心をご存じだった。主の無条件の 愛を受けた時に、ザアカイに悔い改めが起きて、具体的 行動となって表れた。自分の事しか無かったザアカイが、 財産の半分を貧しい人に施すと言い、貧しい人を顧みる 心が生まれた。 だまし取った物も償った。愛するとは、何かをする事以 前に、まず関係であり、主との関係だ。愛し合う関係、信 頼関係が生じて、そこから愛の行ないへと進んで行く。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 神の愛を知り、まず受け取らない限り、自分の内に愛は 無い。「私の肉の内に善が住んでいない」と。「愛は神から 出ている」自分の内に愛が無いことを認める時に、神から 与えられる。与えられた愛で、愛して行ける。