2026年07月25日(土)

「民はモーセにつぶやいて、『私たちは何を飲ん だらよいのですか。』と言った」出エジプト15:24



モーセに導かれたイスラエルの民は、エジプトを
脱出、後にも先にもない偉大な主の奇跡を見た。
大喜びし、賛美し、約束の地を目指したところ、
主は荒野へと導かれた。何も無い荒野を三日間
歩くが水が無く、又、マラで見つけた水は、苦く飲
めなかった。

「主は・・その所で彼を試みられた」とあり、主は試
練を通される。民はモーセに、いら立ちをぶつけ、
つぶやいた。だが、そこには何の解決も無い。私
たちもどうだろう。思い通りに事が進まない時、イ
ライラし、怒り、周囲を責め、不満をぶつけるだろ
うか。つい三日前の主への賛美、喜びはどこへ。
そして、もろに不満をぶつけられたモーセは?

「モーセは主に叫んだ」。モーセはイラ立つ民に対
応したのでなく、主に向き、叫んだ。民の不平を主
のもとに持ち行き、祈った。主はモーセの祈りに答
え、一本の木を示された。それを苦い水に投げ入
れると、何とその水は甘くなった。この一本の木は
主の十字架の型と言われる。主は私たちが、失望
落胆、不平不満、腹立ちの、苦い水にぶち当たる
度に、十字架を示される。

十字架によって、苦みが甘みへと変えられる。その
マラから少し先にエリムがあり、素晴らしいやしと祝
福の地であった。不満、つぶやき、文句・・苦い水を
ありのまま主に持って行き、祈ろう。十字架の主を
仰ぎ見よう。変えられて、エリムに着くことができる。
そこは「わたしは主、あなたをいやす者である」との
場所だ。

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私たちも日常の出来事により訓練される。苦みが来
る時に、主の十字架とみことばによって、主を新た
に知る、甘みへと変えられる。平安と喜びとされる。
まず主のもとへ行き、ことごとくを告げよう。