2004年05月25日(火)

「たまたま、祭司がひとりその道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った・・同じようにレビ人も反対側を通り過ぎて行った」(ルカ10:31)

ある人が夜道で、塀に寄りかかってうずくまっている男性を目にした。どうも酔っ払いに見える。いや、そうでなく気分が悪いのかも知れない。どうしよう、一瞬様々な思いが脳裏を巡った。誰か後から来た人が対応するさ。面倒に関わるのは困る。時間もない・・出来たら関わりたくないのが本音だった。しかし、内なる感覚が道の反対側を通り過ぎる事にとがめを感じた。彼は聖霊に従って、立ち止まって対応したのだった。私達はどうだろう。目の前に立ちはだかった予定外の事態。時間を取られるのが嫌で、面倒な労力が嫌で、関わりたくなくて、反対側を通り過ぎてしまう。根にある自己中心だ。しかし、自分の思いでなく御霊は何と言われてるだろう。どうであれ御霊の導きに従おう。神の素晴らしいみわざを見る。
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主の指示を求めないで、自分の思いで、自分の判断で事を行なうと失敗する。失敗に失敗を重ね、自分の思いで動くと失敗するゆえに、御霊に従うようになる。関わりたくない思いが来た時、しかし、御霊はどう言われるか導きを仰ごう。キリストのお心に従おう。