2004年09月24日(金)

「たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません・・神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」(詩篇51:16)

ある人が新生した時、神に赦されたと同様、人にも赦されたいと強く願った。それで、心に浮かぶ罪を悔い改め、具体的に一人一人にも謝罪した。心に傷をつけた相手、喧嘩した相手、盗みをした先の店主、物品に傷をつけた持ち主・・思い出す人達に対して、謝罪し、遠方の人々には手紙で謝った。感謝な事に、全員が快く罪を赦してくれたのだった。「正直に話してくれて有難う」「あなたみたいな人初めてだ」と。救いの証しをする機会にもされた。そして、何よりも素晴らしかったのは、すべての謝罪を終えた瞬間、心に大きな喜びが満ち満ちた事だった。神にも赦され、人にも赦された大海のような平安は、何ものにも変えられなかった。初めての経験であった。勇気は要ったが、神の赦しを全身全霊でかみしめ味わえた。
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「ごめんなさい」を神は喜ばれる。悔い砕かれた心は神に一番近い。特に、人への謝罪はプライドゆえに大変難しい事。親切でごまかしたり、善行でチャラにしようとする。神はそんないけには喜ばれないと。真実に本気で向かう者に、神も本気で受け止め向き合って下さる。ご自身を現して下さる。