2005年01月25日(火)

「ひょうがその斑点を変えることができようか。もしできたら、悪に慣れたあなたがたでも、善を行うことができるだろう」(エレミヤ13:23)


アルコール依存症の人は、どこに行っても誘惑があるから止められないという。環境が悪いと言う。しかし、止められない習慣の心の底を見るなら、実は止めたくないのだ。神はいつも「良くなりたいか」と問われる。変わりたくない自分がいる。罪から真に自由にされたいと思うなら、可能だ。神の力によって、解放される事ができる。本当の自分の姿を認め、自分の罪と無力を認め、神に拠り頼むなら、神が自由にして下さる。しばしば、私たちは罪を憎んではいない。むしろ愛している。罪とたわむれている。罪には一瞬の快楽があり、心地良い。誘惑が苦しければだれも誘惑されはしない。甘く快いから誘惑であり誘われてしまう。良くなりたいかと主は問われている。
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罪は、悪い事だと知っている。知りながらいつまでも悔い改めず、罪の奴隷となっているのは、罪を愛しているという他ない。人を愛したほうがいいのに愛せないのではなく、自分に都合の悪い人は憎んでいたい。今日「良くなりたい」と主に宣言しよう。