2005年02月21日(月)

「もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい」(ガラテア6:1)


もし罪を犯すなら、神はそれを正される。そのために人を用いられる。もし自分が用いられるなら、自分も罪人であり、同じ罪を犯したかもしれない事を忘れてはならない。相手のために十分祈りを重ね、御霊の愛によらなければ、相手の心に届かない。罪を決していい加減にしてはならない。きちんとその罪を取り扱い、主がその罪をどう見ておられるかを示し、悔い改めに導くことが必要だ。さばくのではなく、回復させ建て上げる事が目的だ。まず自分自身の内側をよく見て、自分の罪を裁いて初めて、人の事が出来る。罪は犯さなかったかもしれないが、自分にも同じ罪の兆候がある事をしっかり覚えなければならない。愛とへりくだりの中で用いられる。
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本当に人の過ち戒め、正し、その人を建て上げようとして行くのと、ただ欠点を指摘し、批判し、裁いて行くのとは大きく違う。その人のために何が出来るのか、まず、しっかり自分を見つめて行かなければならない。