2005年12月25日(日)

「羊飼いたちは・・全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った」(ルカ2:20)

クリスマスは礼拝する時だ。礼拝とは
自分の貧しさを心底知り、主を心にお
迎えし、お仕えする事だ。王の王なる
お方が、私のために貧しくなられ、十
字架に釘づけられ、贖いを成し遂げて
下さった。「ご自分を無にして・・十
字架の死にまで従われた」そのどん底
までへりくだられた主イエスを、自分
の主として迎え、仕えることが礼拝だ。
主を、心の王としてお迎えしないなら、
私達は自分を王とする。自分が神となり、
自分の思い、力、知恵で、神無しで歩む。
悪魔に欺かれ、自らを欺く結果、自分が
正しいとしか見えない。どんなに謙遜を
装い、物腰を低くしても、正しいのは自
分であり、間違いはすべて人のせいにす
る。そのプライドゆえに間違いを決して
認めない。罪の腐敗しきった恐ろしさだ。
神の前に自らの罪を認めよう。それが
プライドを捨ててへりくだる事だ。罪赦
された安堵と喜び、神の愛に包まれ、
この世界で神を礼拝して生きて行けると
は何という恵み!
・・・・・・・・・・・・・・・・ 
メリークリスマス!どんなに誇り高ぶり心貧しく
ない者であるかを知らされ続け、尚もそれをおおう
主のご愛と尽きないあわれみに包まれている事、神
の暖かい愛で愛されている事を感謝します。お一人お
一人に今日豊かな祝福がありますように!