2006年07月25日(火)

「そのとき、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木は実をみのらせず、オリーブの木も実りがなく・・しかし私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう」ハバクク3:17





ある人に、厳しい試練が重な
った。子供が闘病、悩みと多
くの涙を通りつつ病院通いを
していた。すると、そんな時、
夫が過労で倒れた。そして、
親に癌の疑いあり、即、検査
入院との連絡が入った。
四方からの圧迫に途方に暮れ
た。心身疲れ、落ち込み、ど
んどん沈み、気力が失せた。
何も出来ないで頭に手をおお
い、しゃがみ込み沈み込んで
いた。ふと、この状況を神は
どう思っておられるのか、祈
りを聞いていて下さるのか、
本当に神はおられるのか、そ
こまで至った時に、ハバクク
の祈りの箇所に接した。
ハバククは何もかもを、すべ
てを失って、取り巻く環境が
真っ暗闇の中で喜んだ。
なぜ喜べたのか。状況でなく、
神に焦点を当てたのであり
「環境にあって」でなく「主
にあって」喜んだ。彼女はす
べての状況から目を離し、神
に目を向け、神に焦点が合っ
た時に、どん底の心に平安が
臨んだ。これが一番の必要で
あったのだ。信仰は神と自分
の関係だ。それがすべてだ。
そこがしっかりつながってお
れば、どんな厳しい状況でも、
心に平安を経験する。
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主にあって喜んでいよう。この
状況をすべて支配しておられ、
ご存知であられ、私達のために
父なる神様に祈りたもう主にあ
って喜んでいよう。