2007年03月23日(金)

「神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします」Uコリント7:10




悔い改めとは「心を変えること」
だ。後悔する事ではなく、神に立
ち返ることだ。罪の結果を悲しむ
のでなく、罪そのものを悲しむこ
とだ。後悔とは、罪の結果をしま
ったと思い、悔いて悲しむだけで
あり、結果さえ悪くなければ、結
果オーライであれば、考える事も
悔いることもない。しばしば罪の
結果が恥ずかしく、体裁が悪いの
で、結果を悔いるだけで、罪を悔
いているわけではない。これが世
の悲しみだ。そのため、同じ過ち
を繰り返してしまう。放蕩息子は、
父の家を出て、好き勝手に暮らし
たが、父の愛に気づき、自分の罪
に気づき、方向変換して、父のも
とに帰った。この方向を変える事
が悔い改めだ。神に心を向ける時、
自分のした事に対して悔い改めが
出て来る。後悔は神を見ているの
でなく、単に状況と自分を見てい
るだけだ。真の悔い改めは御霊の
働きだ。神の愛や恵み、十字架の
救い、赦しがあるから悔い改める
事ができる。放蕩息子は「罪を犯
しました。子と呼ばれる資格はな
い。雇い人にしてくれ」との言葉
を用意した。しかし、それを言う
前に、父は走り寄り、ボロボロの
息子を抱きしめた。そして、無条
件で受け入れられたその時に、真
の悔い改めが起きた。
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御霊の導きのない悔いは、肉の憐
憫をもたらすだけだ。赦しも癒し
も自分だ。罪そのものをよく見極
め、罪を悲しみ、神様に立ち帰ろ
う。赦しはすでに備えられている。