2007年06月24日(日)

「急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい」ルカ15:22

弟の放蕩息子とその兄が登場する。弟は
好き放題、放蕩三昧して、父のもとへ帰
る、一方兄はサボる事もなく、外見、真
面目に父のもとで働いていた。しかし、
弟も兄もどちらも、心は、父から離れて
いた。弟は実際に家を出て、財産を使い
果たし、無一文になった時、我に返った。
雇い人にまで心を配る愛深い父を見い出
した。父のもとへ帰り、溢れる愛情に浴
する。兄はこれが許せなかった。ただの
一度もサボる事なく忠実に働いて来たの
に、自分には子山羊一匹くれない父、そ
れを放蕩三昧して帰った弟に、肥えた牛
をほふっての、大ふるまい、怒り爆発だ。
父親は二人を分け隔てなく、等しく愛し
ていた。何が違うのか。二人の父親に対
する理解が違った。弟は愛深い、良い父
だと思ったから帰った。兄は、けちな厳
しいだけの父との認識だ。子山羊一匹も
くれないなどあるわけない。全部お前の
ものだと言われている。父を誤解してい
た。神の溢れる愛に出会い、祝福に出会
うためには、弟のように、神が慈しみ深
い方、良い方、豊かな方だと信じる事が
大切だ。あなたはそのように信じている
だろうか。兄のように、神は、要求ばか
りする、厳しく取り立てる方か。あなた
の神観はどうだろう。
・・・・・・・・・・・・・
自分でやりくり出来ている間は、神が
わからない。神に出会ったのは、自分
の力が尽きた時だった。満たしを経験
したのは、ギブアップ、全面降伏した
時だった。神の恵みは充分だ。無力な
時に初めてわかる。