2007年08月25日(土)

「私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか」マタイ18:33

私達がだいたい苦しむのは、赦さない心
だ。そこから憎しみ、憎悪、怒り、敵対
心でがんじがらめにされる。その相手を
見れば怒りと憎しみが湧き、又、見ない
時も、たとい離れていてもそれは同じな
のだ。怒りと憎悪に支配され、結局その
相手に四六時中拘束される事になる。そ
して、苦しむのは相手でなく自分なのだ。
赦さない心は、自らを苦しめ、心をどん
どん荒廃させて行く。それには原因があ
り、過去に傷ついているのだ。その傷か
ら恨み、つらみが怒りとなって、事ある
ごとに噴き出て爆発する。1万タラント
の借金を免除して貰った人が、100デナ
リの借金をした仲間を赦さない。すると
「主人は怒って借金を全部返すまで、彼
を獄吏に引き渡した」、ほんとに赦さな
い心は牢獄にいるようだ。自由がなく、
行き場がなく、憎しみに閉じこめられ、
四方八方壁でがんじがらめ、出口が無い。
その出口は唯一つ、赦すという選択だ。
赦すと自分が苦しみから完全に解放され、
自由にされ、喜びと平安が来て、心に爽
快な風が吹き抜ける。まさに牢獄からの
解放だ。自分で赦す事は出来ない。しか
し、もし、あなたが許可するなら、神は
あなたの心に赦しのわざを成し遂げて下
さる。あなたが、相手を赦す事を承諾す
るかどうかだ。
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赦す事は人にはできないが、神にはできる。
しかし、赦せないのではなく赦したくない
のだ。頑なで強情な自我だ。でも牢獄は悲
惨だ。赦したくないと告白して、神に助け
を求めよう。奇跡のわざを見る。