2007年10月25日(木)
「ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。」Ⅰペテロ5:6
へりくだるとは、「いえいえ、自分 などは」と自己卑下する事ではない。 又、単に腰を低くする事ではない。肉 の謙遜は、肉の欲しいままの欲望に対 しては、何のききめもない。ある人が、 神のしもべとしての訓練を受けるため に、神学校へ入った時に、自分はこの 中で一番謙遜な者になる事を目標にし た。謙遜のナンバーワンだ。パリサイ 人は人に見せるために断食し、通りに 立って祈り、人前で善行をし、施しを した。肉の謙遜は、人前であり、人に 対してであり、それは自己満足であり、 その根は高ぶりだ。私達の謙遜は、神 に対してだ。「神の力強い御手の下に へりくだる」ことだ。それは、神に従 うこと、御心に「はい」と従うことだ。 自分の強い思いがあれば、従うことが できない。自分の思い通りの道を選ん で行く。へりくだるとは、自分の肉の 思いを捨てて、神の御心に「イエス」 という事だ。今、自分の思いと神の御 心の間で選択を迫られているだろうか。 神の力強い御手の下にへりくだろう。 神にいっさいを委ねて、「はい」と従 おう。へりくだる者には、約束がある。 「ちょうど良い時に、高くしてくださ る」。それは、人間的な思いの丁度良 い時でなく、神の「ちょうど良い時」 だ。水は低い方へ低い方へ流れる。へ りくだるなら、必ず神の大いなる祝福 が臨む。 ---------------------- 人との優劣ではなく、自分の神様に対 しする態度が問われる。取るに足りな い者が素直に御心に「はい」と従って 行く時、神様の栄光が現れる。そこに は優越感もなければ、高ぶりもない。