2008年02月23日(土)

「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです」ヨハネ9:3

生まれつきの盲人を見て、弟子達は、
主にその原因を尋ねた。本人の罪のた
めか、親の罪のためかと。しかし、主
は原因ではなく、目的をもって答えら
れた。神のわざが現れるためであると。
主は、私達一人一人の人生に、目的を
持っておられる。弟子達は盲目の男性
を見て、彼が盲目に生まれついた原因
を尋ねた。私達の発想は、何か不都合
な事、マイナス要因、不幸せな事が起
こる時に、それは「悪」ととる。だか
ら次の反応が、なぜこんな事が私に?
と、なぜ?なぜ?と動揺し戸惑い、そ
の原因を追及しようとする。マイナス
の事態、一見不幸な事柄は悪なのだ。
しかし、主の見方は全く違う。神は私
達一人一人に、計画を持っておられ、
マイナス要因に目的を持っておられる。
主は、その盲人を癒す事を計画してお
られた。私達は目が曇っていて見えな
かったりする。又、焦点も合っていな
い。一見、不都合な形で現れたり、不
幸な形で現れると、自分の思いと合わ
ないので、神のご計画が見えない。あ
なたも、今、自分の思いと違うので、
見えていないかも知れないし、見誤っ
ているかも知れない。よく祈ってみよ
う。その不都合な事態は、実は神の栄
光が現され、又、周囲の人々も神のみ
わざを見るためだ。神が見ておられる
ように、見えるように祈ろう。
・・・・・・・・・
都合の悪い事、不幸な事、マイナスな
事は「悪」との価値観が問題だ。今、
目の前にある辛い事、苦しい事は神の
わざが現れるためであり、それを通し
て神を知れるとは、何と嬉しい事だろ
う。