2008年05月25日(日)

「それなのに、どうしてあなたは主のことばをさげすみ、わたしの目の前に悪を行なったのか」Uサムエル12:9

自分の犯した罪は、悔い改めるなら完
全に赦される。神は無かったこととし
て見て下さる。その罪が、十字架の主
の上に置かれたからだ。主のゆえに完
璧に赦される。しかし、罪が赦される
事と、罪の結果を刈り取る事は別のこ
とだ。罪は赦されるが、罪の結果から
逃れられるのではない。自らが刈り取
ることになる。罪が赦されたからこそ、
刈り取って行ける。だから、どうせ赦さ
れるのだからと、罪を甘く見てはならない。
断じて軽い気持ちで罪を犯してはなら
ない。刈り取りは決して甘いものでは
ない。苦しく辛い苦いものだ。しかし、
主と共に刈り取る時、それを訓練とし
て用い、成長を与えて下さる。どこま
でも益として下さる。ダビデに生まれ
た子は死んだ。ダビデの妻たちは他の
者に汚され、ダビデの息子たちも死ん
だ。苦しい辛い刈り取りであった。罪は
その結果に、家族をも巻き込むことに
なってしまう。自分だけにとどまらない。
罪はそれほど重大な深刻なものだ。し
かし、尚も神のあわれみと恵みは尽き
ない。姦淫の罪によるバテシバとの結
婚であったにも関わらず、その間に生
まれたソロモンを次の王とし、神の家
を建てる者とされた。
・・・・・・・・・
主の愛は不変であり、主のあわれみ
は尽きない。朝ごとに新しい。その慈
しみは深い。主と共に刈り取る時、痛
みをも祝福に変えて下さる。ソロモン
を与え、測り知れない恵みを与えて
下さった。