2008年09月24日(水)

「彼らはことば数が多ければ聞かれると思っています。だから、彼らのまねをしてはいけません」マタイ6:8

  

異教の神は偶像であり、それ
を拝む人々は「同じことばを
ただくり返す」。そこには虚
しく、考えもなく、とにかく
量があればよいとの考えが浮
かぶ。だから「ことば数が多
ければ聞かれる」ことになり、
ガンガンガンガン、何でもよ
いから祈り倒せばよいことに
なる。それなら人間中心で、
神を何とか自分の思い通りに
操作しようとの態度だ。クリ
スチャンにも、もし言葉数が
多ければ聞かれるとの思いが
あれば、それは大きな勘違い
だ。なぜならそこには、祈り
が自分の欲しいものを手に入
れるための「手段」だとの錯
覚がある。もし、手段であれ
ば、多く祈る者勝ちとなり、
異教と同じであり人間中心だ。
そうではない。だから、彼ら
のまねをするなと言っておら
れる。「あなたがたの父なる
神は」と続き、神がどなたで
あるかが問題だ。わけのわか
らない偶像ではなく、父であ
り、一番大事な独り子を殺す
ほどに愛して下さったお方で
あり、御子を死に渡された方
が、どうしてそれ以下のもの
を下さらない事があろう。神
は愛していて下さる。その神
は、最善をなし、完璧に配慮
して下さっている。祈りとは、
神を説得して欲しい物を得る
「手段」でなく、真実なる神
への「信頼」だ。根本的に異
なる。愛されているから、最
善をして下さる事を信じて求
めて行く、それがベースだ。
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一方通行の祈りをしているの
ではい。私達が祈る神様は祈
りの中ですら答えを下さり、
求める先に必要なものを知っ
ておられるお方。今日も深い
信頼の中で神様と交わろう。