2009年01月24日(土)

「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです」ルカ10:42


マルタは良い人であり、善意であり、一生懸命に主をもてなそうとした。
まず居心地良くするため掃除から始まり、料理の献立を練りに練って用意した事
だろう。
主のために最高のものをと、完璧に考えたに違いない。大奮闘だ。思いのほか時
間がかかり、手間取り、イライラして来る。

ふとマリヤに目をやると何もしていない。マリヤの態度に腹が立った。しかし、
マリヤは何もしていないのではなく、主の言葉を一言も聞き漏らすまいと、この
上なく真剣に熱心に耳を傾けていた。

じっと御言葉を聞いていたこのマリヤ一人が、イエスが神の子であり、これから
十字架にかかる事を悟っていた。

私たちも多くの楽しみや喜びがあり、又、多くのものに煩わされる。家庭があり、
学校や職場があり、近隣があり、様々な対人関係に囲まれている。

又、勉強、仕事、家事育児、多くのなすべき事がある。又、リクレーションやレ
ジャー娯楽がある。それらは良いものであり、罪ではない。

しかし、その良いものが、どうしても必要なものを、圧迫して来る。「どうして
も必要なものは一つだけ」と言われた。

ベターがベストを追いやっていないか。良いものであり、罪でないだけに気づか
ずに流されてしまう。無くてならぬ「一つ」に、今一度立ち返ろう。

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繰り返し、繰り返し、無くてならぬものは「一つ」と言われる。多くのなすべき
事があり、責任がある。しかし、本末転倒になっては、何をしているかわからな
い。むしろ良いものに圧迫されていないだろうか。