2026年08月06日(木)

「パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケド ニヤへ出かけることにした。神が私たちを招いて・・福音 を宣べさせるのだ、と確信したからである」使徒16:10



信仰生活で、主の導きを求める時がある。その時に、
「環境」をよく見る事は大切だ。パウロは二度も環境に
より、行く手を阻まれた。「アジアでみことばを語る事
を禁じられたので、フルギヤ・ガラテヤ地方を通った」

ビテニヤに行こうとしたが、環境により、主のストップ
がかかり、トロアスに下った。つまり状況的に、何らか
の障害により進めなくなった。東から来て、南も北も閉
じられたので、残りの西に向かった。阻止の理由は、主
のご計画が、ヨーロッパ宣教にあったからだった。

もし御霊の阻止がなければ、御心と違う方向へ向かって
いた。御霊の阻止は、私たちを正しい方向へ導いてくれ
る。私たちにも主のプランがあり、時に行く手にストッ
プが入る。自分には思いがあるが、門が開かれず、状況
が整わないなら、それは主の御心ではない。

もし入試、就職試験が不合格なら御心でない。「ノー」
が答えであり、御心は別の所にある。しばしば阻止され
ると、導きを失ったように感じ、迷子になった不安、心
細さを覚える。だがそうでなく、そこが御心でないとい
う「導き」だ。次の導きを「待て」ばよい。

環境の閉じ開きにより、導きを知れる。門が開かれたな
ら、その方向に進めばよい。御心の門は、目の前で、ひ
とりでに開いて行く。主が開かれるからだ。断じて自分
で門をたたき割り、進むのではない。必ず目の前で門が、
開かれる。御言葉、祈りによる平安と共に、状況をよく
見ていよう。
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主の導きによって与えられた地には、必ず平安と祝福が
待っている。目の前は不安であっても、思いを明け渡し、
信仰の目で見ていけるよう祈っていよう。