2026年06月20日(土)

「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」 箴言16:18



ダビデは、高慢の罪から守られるように、それらに支
配されないようにと、絶えず、主に祈り求めていた。そ
のため、主はダビデの祈りに答えて、ダビデを高慢か
ら守られ、主と人に仕えて行けるようにされた。クリス
チャンともなれば、偉そうにするのは、恥ずべき事な
ので、表だってはしないし、又は、自慢したりしない。
誰しも「いえいえ、私などは」と腰を低くし、末席に座る。

しかし、心の中はどうだろう。人と比較しては、心の中
で、人を裁いたり、見下したり、自分を誇るだろうか。
自分はそのように愚かではない、自分ならそのように
はしないと。それなら、高ぶりの罪だ。又、神の言葉
に対してはどうだろう。「主よ。お話ください。しもべは
聞いております」と、「み声に従います」の姿勢で、へ
りくだって、御言葉の下に自分を置いているだろうか。

都合の良い言葉、思い通りの言葉だけを取るだろうか。
「自分の都合の良いことを言ってもらうために、気まま
な願いをもって」御言葉に対するなら、御言葉の上に
自分を置く事になり、自分が主人になる。自分が取捨
選択し、都合の悪い御言葉は捨て、都合の良い御言
葉は取る。

又、御言葉をどのように受け取っているだろう。例えば、
「わたしはあなたを愛している」を「そう思えない、感じ
ない」と受け入れないなら、高慢になっている。又、「必
要をすべて満たす」を「状況はそう見えない、思えない」
と御言葉を捨てるなら、やはり高慢だ。あるがままを主
に祈り、助けを求めよう。御言葉をそのまま受け取るこ
とが、へりくだることだ。

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みことばをその通りに思えない、信じられないなら、
まず主にありのままを祈ろう。思えない、信じられないと。
助けて欲しいと。自分で幾ら思い込もうとしても、それも肉
なので堂々巡りだ。主にありのまま祈ることから始まる。