2026年09月21日(月)

「そこで、イエスの愛されたあの弟子がペテロに言った。 『主です。』すると、シモン・ペテロは、主であると聞 いて、裸だったので、上着をまとって、湖に飛び込んだ」 ヨハネ21:7



人は、自分の姿にきちんと向き合わない限り、自分が変
わる事はないと言われる。見たくないので、目をそらし、
逃げるなら、自身が何も変わらない。主の指示により、
ガリラヤに戻った弟子たちは、なすすべなく、以前して
いた漁に出た。しかしベテラン漁師が、一匹も捕れなか
った。

すると岸辺から「食べる物がありませんね」という声が
聞こえた。弟子たちは「はい、ありません」と現実を認
めた。主を裏切ったペテロは深い痛手を負い、これなら
出来ると唯一自信のある漁をするが、全く魚がとれない。
挫折感、屈辱感、空虚感はどんなものだったろう。

無力を認めた時、「舟の右側に網をおろせ」との声が聞
こえた。何だかわからないが、その声に従い、網をおろ
すと、何と驚くべき大漁だった。網を引き上げられない
ほどの、おびただしい魚だった。ヨハネが以前の全く同
じ光景を思い出し、主だと直感した。

「主です」の声に、ペテロは湖に飛び込み、主のもとへ
行った。陸地に上がった時、炭火があり、魚とパンがあ
った。それを見たペテロは、主を裏切った時の、あの炭
火が脳裏に浮かんだだろう。

主は、ペテロに三度「わたしを愛しますか」と問われ、
ペテロは「私の心を見て下さい、主はすべてご存じです」
と答えた。砕かれたペテロがそこにいた。主の愛はその
ペテロを見事に回復させた。
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無力感や空虚感が自分にある事をなかなか認められない。
自分の力では無理だとわからされるときが感謝だ。無力
の岸辺で主が声をかけてくださる。希望のひかりがある。