2009年03月24日(火) 「光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである」ヨハネ3:19
「光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである」ヨハネ3:19
闇がわかるのは、闇の中に光が照らし出されることによってだ。光が無く、闇だけなら、それが闇という事すら認識できず、わからない。 光によって初めて闇が認識できる。闇の中にいるなら、そこが闇だとわからない。 ベテスダの池で、38年間病気で、池のそばに伏せっている人がいた。主の使いが来て水面を動かすが、その時すぐに池に入れば、どんな病気でも治ったが、入れてくれる人がいないのだと。 その人に主は「よくなりたいか」と問われた。病気の人に、よくなりたいかは不思議な質問だが、私達にも主は問われている「本当に闇から出たいのか」と。 闇の中にずっといると、闇は心地良い。自分は変わりたくないのだ。 自分を変えるには大変なエネルギーが要る。しんどい事はしたくない。楽な方へ流される。 自我は強固だ。あなたにもうすうす気づいている事があるだろうか。 悔い改め、改めなければならない事柄、そのうっすら気づいている事を、まず光の中に出そう。 闇にあるものを、ことごとく光の中に出す事だ。それは主の前に告白し、認める事だ。 「明るみにひき出されるものは、みな、光によって明らかにされます」「明らかにされたものはみな、光だからです」御霊は働いておられる。 心を閉じさえしなければ、拒みさえしなければ、御霊の光はくまなくあなたを照らし出す。 ------------------ 御霊の促しはあるが「入れてくれる人がいない」からと闇の中で楽々としていないだろうか。 闇から光に移して下さるのは、主だ。よくなりたいとの意志を向けてみよう。