2009年04月20日(月)

「見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に・・私たちのたましいは主を待ち望む」詩編33:18



祈りには、失望することなく、忍耐をもって祈り続けることが必要な面がある。まず第一に、「求めること」が必要だ。

まずもって祈らなければ、何も始まらない。
「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです」願い始める時、その祈りがなかなか聞かれない事を経験する。

聞かれないのは、悪い動機ではないかと、動機を探るが、特にとがめは無い。しかし、祈り続けることに疲れてしまって、途中で祈りをやめてしまったりする。

神はしばしば「待つ」ことを教えられる。
聖書には何度も何度も「主を待ち望め」と出て来る。
すぐに祈りの答えを得たなら、「待つ」必要はない。

逆に言えば、忍耐を養われ培われる事がない。
なぜ、神は待つことを学ばせられるのか。一心に答えを待つためには、確信が必要だ。

確信の無いものを待つことはできない。そして、主への揺るぎない信頼が必要だ。信頼が無ければ、待つことはしない。そして、希望が必要とされる。

待ち続けるためには、本物の信仰が要る。神は、私たちの内に、本物の信仰を練り鍛え、培おうとしておられる。

そのために、神だけを信じて、見える所がいかに逆行していようと、期待と望みを神にだけ置いて待ち続ける、そのような状況を作られる。
今、神は、あなたにも本物の信仰を培おうとしておられるのではないか。
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祈りが答えられる時、待っていた時の意味がわかるだろう。待つ間も神様はともにいて下さる。疑いが信頼へと変わり、固い思いが砕かれ、整えられるため待たされているのかもしれない。