2009年07月24日(金)

「それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった」申命記8:16



出エジプト後のイスラエルの民が「燃える蛇やさそりのいるあの大きな恐ろしい荒野」を通された。苦しい困難な状況だった。私達も信仰人生で、荒野を経験する。

苦しみ、不意の出来事、何でこんな事が、との苦悩の事態に遭遇する。
しかしそれは「ついには、あなたをしあわせにするため」、最終的にはあなたを幸せにするための取り扱いであり、必要ゆえにその苦しみが今、与えられている。
神は完璧なご計画を持たれ、無駄な事は一つもされない。
「あなたをしあわせにするため」との神のお心を受け止めよう。

ある中間管理職の男性が、苦しい役どころに立たされた。上からは圧迫、下からは突き上げ、なぜに自分ばかりと辛い役回りだ。目の前の苦しみに祈ると「あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするため」と語られ、自分の成長のため不可欠であり、自分が幸せになるために、どうしても通らねばならない授業と、御言葉に立った時、自分の心が変えられ、信仰もって前向きに受け止めることができた。

そして、その試練の行程の中で、沢山の教えられる事があり、深い霊的恵みを味わった。感謝でならなかった。
試練が来ると「なぜ?なぜ?」となるが、神は「あなたをしあわせにするため」と言われる。試練のプロセスの中に神からのメッセージがある。それを受け取る事こそが、大きな恵みだ。
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試練を通らないと知れなかったものは何だろう。何を教えておられるのか、自分の何処を変えたいと思っておられるのか。試練だけを嘆くのではなく、信仰の目でしっかりとらえよう。