2009年08月24日(月)

「主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます」詩編23:2



ある人が、ある時期、仕事が非常に立て込み、深夜帰宅、早朝出勤が続いた。
身体もくたくたで、心身疲れ果て、祈る時間もない日々だった。心は渇いて、通勤電車の中で座って、又、ある時はつり革を握り立ったままで、祈りの時とした。

心の中で祈った。主はあわれんで下さって、心が守られた。イライラ、ピリピリ、トゲトゲして、荒んでいた心が、人々で混雑の中で、目を閉じ、主に集中し心の内を告げていると、心を静めて下さり、平安と交換して下さった。

安堵が心に広がった。ある主婦は、多忙の中、やむなく草刈りの必要が生じ、時間を取られる事に落胆した。しかし、心を主に向け、目の前の作業を受け入れ、主への礼拝行為として、この仕事をしますと祈った。

単純作業であり、草を刈りながら、その時間を祈りの時とし、主と交わった。
多くの執り成しの祈りまで出来て、仕事が終わった時には、畑は見事に綺麗になり、心もすっかり新たにされ、主との交わりで喜びに満ちていた。

ある人は昼休みに職場の屋上で、近くの公園で、しばしの交わりを持った。
主は、あなたの多忙な状況をご存じだ。ほんの数分でも、主に心を向けてみよう。
霊が主に触れる時、新たにされ息を吹き返す。多忙の中で、しばし、心を主に向けて、祈ってみよう。
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多忙だからこそ祈り、主との交わりの中に少しでもいられる事が恵みだ。
イライラしてます、トゲトゲしていますと主に告げる時、必ず主が助けて下さる。慰めを、平安を下さいと祈ろう。