2009年10月24日(土)

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」伝道の書3:11



あなたも、しばしば、物事が自分の思い通りに行かないことを経験するだろうか。
今までも信仰人生は、自分の思い通りにはならなかった。

又、突然、不意の事態が起こるのでは、と不安に駆られるだろうか。又、どんな
に祈っても、苦しい状況が何も動かず、微動だにしない、祈りが聞かれているの
だろうかと、思うこともあるかも知れない。

それは、自分サイドで、自分のタイムテーブルで物事を見ているからだ。神には
神のみ思いがあり、時間表があり、定まった「神の時」がある。最善の時であり、
最もすべてに美しい時だ。

祈りが答えられる「時」だけは、私たちは神に指示できない。祈りはすでに答え
られているが、目に見える形で現れて来るのがまだ先ということだ。神は、遙か
先を見通しておられる。私たちには、将来は全く見えない。

「人は神が行われるわざを、初めから終わりまで見極めることができない」の通
りだ。ほんの目先しか見えないに関わらず、しかし「人の心に永遠への思いを与
えられた」。

目先の事だけで一喜一憂し、ひどく落ち込んでしまうが、今は見極める事ができ
ないが、事態の決着は先にある。必ず結末がある。先の事は神の御手の中にあり、
神の時間表があり、あなたのために最善に導いておられる。その神を見ているな
ら、どんな時も全き平安に歩める。

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神を通して、目の前の事態を見ることが大切だ。神を見て、状況を見るなら、御
言葉に立てて、平安になる。神無しで先を見るなら、不安と思い煩いの真っ暗闇
だ。明日も、ちょっと先さえわからない。先はお委ねし、平安でいよう。