2009年11月23日(月)

「それはあなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった」申命記8:2


悩みや問題が出て来る時、「なんで?なんで?」と疑問が湧き上がる。心の内にあるものを教えるために、起こされている。「あなたの心のうちにあるものを知るため」敢えて、苦しみ、問題の中に置かれる。

「主は、あなたを苦しめ、飢えさせて」とあるように、主が苦しめておられる。
人は順境にある時、自分は良い人間と思っているのではないか。何の圧迫も、ストレスも、あつれきも無い中で、自分は良い人と思う。良い人でおれるからだ。神無しで、やって行けてしまう。

見た目は腰を低くして、「いえいえ私などは」と謙遜そうに見せるが、人より下だとは思っていない。主は私たちを愛しておられ、真に神の恵みのまっただ中を歩ませるために、自分も知らない本当の姿を見せて下さる。

そうでなければ無に帰してしまう。真の弱さを知らない限り、神にすがって生きようなどと思わない。そのため、自分の醜さ、愚かさ、汚さ、罪深さを見せて下さる。それは、良い地に導くためであり、私たちを幸せにするためだ。

試練はその役目をする。試練の中で初めて自分の本性を知る。主の大きな恵みにあずかるために、どうしても必要なステップだ。「人がその子を訓練するように、主があなたを訓練」「あなたを苦しめ、ついに幸せにするため」。
必ず、苦しみに会った事は幸せでしたと言える。
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苦しい問題、避けては通れない所で見えてくる本当の自分は、決して高ぶれない、へりくだるしかない姿だ。「いえいえ私など・・」と心の底から十字架を感謝し、主に自分自身を明け渡すために祈れる。