2009年12月24日(木)

「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように」ルカ1:38


マリヤは婚約中の幸せの中にある、ごく平凡な女性だった。それが、ある日突然、御使いから「みごもって、男の子を産む」と言われた。マリヤは、どんなにか戸惑い、恐れや不安に襲われたことだろう。

マリヤはメシヤ到来を知り、信じていた。だが、余りも唐突で、なぜ自分なのか?処女で出産するとは。当時、婚約中の姦通は石打ちの刑だ。おことば通りこの身になるなら、死だ。

まさにエステルの「死ななければならないのでしたら、死にます」と同様、命がけだ。ヨセフとの関係はどうなるのか。聖霊によってみごもったなどと誰が信じられるだろう。

ヨセフをどんなに傷つける事か。ヨセフの体面もあったものでない。この結婚は壊れてしまうだろう。様々な恐れと不安が去来した事だろう。しかし、そんな中でマリヤは、自分の将来も、夢も、自分の人生もすべてを、主に献げた。

「おことばどおりこの身になりますように」と何もかもを明け渡した。マリヤの思いとは、何もかもが全く違う道であった。しかし、自分の人生でなく、神の救いのご計画にあずかる道を選択し、決断した。

ある時、私たちも自分の思いやプランと全く違う道に、環境や仕事に導かれる。「あなたのおことばどおりに」と従う時、神のご計画に参与し、神の栄光を拝する。
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神がマリヤを選ばれたように私達もクリスチャンとして選ばれ召されのだ。ご計画に従おうとする時、やはり大きな痛みを伴う。自分の思いを捨てて主の十字架にあずかるという意味を今日は静かに考えてみたい。