2010年01月24日(日)

「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように」マタイ15:28

カナン人女性が主に助けを求めた。娘が悪霊につかれていた。彼女の求めは、切
迫したものであった。「ダビデの子よ」と求め、真剣に、必死に、叫び求めた。

この全身の叫びに、主は、答えて下さるはずでは、と私たちは思う。しかし、主
は「一言もお答えにならなかった」。無視のようであり、沈黙されたままだ。

しかし諦めず、叫んでついて来る女性に、弟子たちが、帰して欲しいと苦情を言
った。それに答えて、ご自分はイスラエルの羊に遣わされていると言われた。す
ると、女性は「ダビデの子」を、単に「主よ」と変えて、尚も助けを求めた。

カナン人の彼女はイスラエルではない。異邦人だ。「ダビデの子よ」と言う権利
は無い。彼女はへりくだって正しい位置に立った。すると、主は「子犬に投げて
やれない」と言われた。何と冷たい言葉に聞こえそうだが、そうではない。

実は、主は彼女が正しく求める事ができるように手助けをしておられた。女性は、
「その通りです」と認め、へりくだり、「しかしパンくずは頂けます」と求めた。
その時、娘は癒された。彼女は主のあわれみを信じたから、諦めなかった。

それは主への信仰だった。途中で怒ったり、ふて腐れたり、諦めたならどうだろ
う。彼女は一心にへりくだった。そして、一見、拒絶に対して、尚も主を信じて
迫った。あなたも今、信仰を試されているだろうか。

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主の一見冷淡と見える対応が、実は、正しい位置に導き、心底の求めを引き出し、
願いを叶えるためであった。極みまで愛して下さり、あわれんで下さり、自分は
不真実でも、どこまでも真実な主、その主ご自身を信頼して行きたい。